朝見秋です。
ADHDの女性です。
「理解のある彼くん」って最近よく聞きますね。
インターネットのやりすぎでしょうか。
「理解のある彼くん」とは?
「理解のある彼くん」(略して「理あ彼」)とは、
社会的に生きづらさを感じる立場の人(例:障害がある、家庭環境に恵まれていない、など)と交際している恋人、またそういったカップルの関係性を指す言葉です。
近年、主にインターネット上で使われています。
「こんな生きづらい私にも、私を理解してくれる彼くんがいます」といった状況を揶揄する文脈で使われがちです。
そしてこんな筆者にも……?
彼くんがいます。
そうです、私は手帳持ちのADHD。家庭環境も色々複雑。
相手にはすべて伝えており、それを受け入れてくれています。
私の恋人は所謂「理解のある彼くん」の条件に当てはまっています。
しかし……
「理解のある彼くん」なんて呼ばれたいわけがなくない?
「揶揄する文脈」で言われる呼称ですから。
そりゃそんな見られ方なんてされたくないに決まってます。
でも、障害のある私に恋人がいるのです。
「彼くん」なんです。
避けようがなく、でも気に入らない。
こんなミームができたことを恨むしかないです。
でもこんなミームが発生した所以もまあわかってしまうのが、また悲しくもある……。
「理あ彼」という概念から得たもの
それは、「この人を理解のある彼くんにしたくない」という意地です。いや「理解のある彼くん」になることは不可避ですが、抗おうとする意思が生まれました。
恋人と交際を始めた当初、伝えたことがあります。
それは、「自分には障害があるが、あなたと親しくなったからといってお世話をさせるつもりはない」「依存関係になりたくない」ということです。
自分のプライドも勿論あるんですけど、相手に「障害があるからサポートしなきゃ」という責任感を植え付けたくなかったからです。
恋人を「理解のある彼くん」にするもの、それは紛れもなく自分自身です。少なくとも私の中では。
私に障害があるから、私の恋人は「理解のある彼くん」になってしまいました。
私の障害は治るとかそういうものじゃないので、一生物です。私のそばにいる限り彼も一生理あ彼。嫌すぎる。
「こんな概念知らない方がよかった。呪いやんけ。」と思いながら逃れられず生きていますが、
まあもうそれはしょうがない。
だから、せめて相手に寄りかかりすぎないよう、自分が開き直るようなことがないよう、あらかじめ宣言しておきました。
そういう腹を決めるきっかけをくれたという側面では、このあまり好きじゃない概念にも私なりの意義を持てたのかもしれません。好きじゃないけど。
とはいえ、結果的に頼ってしまうことはあると思う
だって、得意不得意とか困りごとが出てくるのは、障害の有無を問わずよくあることだから……。
確かに障害があるとその機会は増えることもあるかもしれませんが(まさにそれが問題だから揶揄されてるんだろ、という見方は勿論あると思います)。
私は彼に助けられると、時々「彼くんに理解があってよかったね笑」と言う仮想敵が脳裏をチラつきます。
でも、本人たちが無理なく幸せでいられてるならいいんですよね、本当はこんなこと考えなくても。
「理解がある」ということは本来素晴らしいことである
それに対して純粋に感謝していたい。
世の恋人がいる生きづらい人、「私も「理あ彼がいる」って思われてるのかな……」と気にすることなんて全然ないんですよ、胸を張ってください、と言いたい。
私もそう思いたい人の一人だし。
すべての愛し合う人々が幸せでありますように。
